2021年、世界経済フォーラムが開催するダボス会議は本年のテーマを「グレート・リセット」とした。これは現在の世界状況が大きな歴史の転換点であることを物語っている。2020年に新型コロナウイルスによって起きたパンデミックは、経済格差や気候変動を始めとする社会の様々な問題を明らかにした。このコロナ禍で叫ばれた連帯とは、世界がかつてないほど分断していることの証左でもある。これまでの中央集権を軸とした資本主義が終末に近づく中、AIによるシンギュラリティやNFTによるWeb3.0など新しい時代の足音も聞こえ始めた。しかし、私たちの世界は本当に「グレート・リセット」すべきなのだろうか。
「NEW GAME+(強くてニューゲーム)」とは一度クリアしたビデオゲームでステータスを引き継いだまま始めからやり直すシステムのことである。私たちはコロナ禍で大きなダメージを負ったがGAME OVERでもなければRESETでもない。私たちはこれまでの社会構造を一度クリアしたと考えることができないだろうか。私たちはこの現実のエンディングを見たのだ。そして、もう一度、自身のステータスを引き継いだまま始めれば良い。物語は続いている。ストリートにもイーサネットにもフィールドにも。私たちは現代の夢から覚めたばかりだ。
現代とは未来のレトロゲームであり、世界は開発中のものである。
第1章
コンピュータゲームの始まり
1958年、原子力を研究していたブルックヘブン国立研究所(アメリカ)のウィリアム・ヒギンボーサムが世界初のコンピュータゲーム「Tennis for Two」を開発した。※ 「Tennis for Two」は現実のスポーツであるテニスを記号的に模したゲームであった。ここに後のビデオゲームの未来に続く、人間の身体性の剥奪からの電脳的記号性の萌芽を見ることができる。
また、1972年にラルフ・ベアが開発しマグナボックス社から発売した世界初の家庭用ゲーム機「オデッセイ」の「テーブルテニス」や、その「テーブルテニス」に影響を受けたノーラン・ブッシュネルが自身で設立したアタリ社から発売し、商業的成功を収めた世界初のコンピュータゲーム「ポン」も、現実のスポーツである卓球を記号的に模したゲームであった。
今日まで続く私たちのビデオゲームフィールドは現実のスポーツのシミュレーションから始まったと言える。
※「Tennis for Two」が世界初のコンピュータゲームという定義は諸説ある。
第2章
戦後の終わり。おそらく
日中戦争の勃発や軍部の反対などにより幻となった1940年の東京五輪から24年後、日本初・アジア初のオリンピック「東京五輪1964」が開催された。太平洋戦争(1941-1945)での敗戦からの復興を掲げるが如く、聖火の最終ランナーは原爆投下の当日である1945年8月6日に広島県三次市で生まれた19歳の陸上選手であった。1956年の経済白書では「もはや戦後ではない」と語られたが、この大会がそれを決定付け、日本が高度経済成長期へと進んでいくスタートラインともなった。
東京オリンピック公式ポスターおよび大会エンブレムは日本のデザイン界の父とも言える亀倉雄策と原弘(ロゴタイプ)、入賞メダルは大蔵省造幣局の工芸官が作成したが、参加メダルは岡本太郎(表面)と田中一光(裏面)がデザインした。当時の日本のトップクリエイターが集結した形となる。また、東京オリンピックでは案内や誘導、競技種目の表示においてピクトグラムが初めて採用された。外国語によるコミュニケーションをとることが難しい日本人と外国人の間を繋ぐために開発されたピクトグラムは、今日にも続く日本人の記号文化の一例である。世界の公用語が話せない日本人は、視覚言語を発展させてきた歴史がある。漫画やアニメやゲームなど、世界的にみて非常に特異な記号的視覚言語の発展は、要因として公用語が話せないというハードルを越える術なのだ。
東京オリンピック開催を契機に、日本では様々なインフラストラクチャーの整備がされた。公共交通機関、特に東海道新幹線の開業などは顕著である。テレビの普及率も87.8%となりテレビオリンピックとも言われた。そして、この大会において日本IBMは日本初のオンラインシステムを稼働した。現在の日本人のライフスタイルを形成する大きな転機となったのが、東京オリンピックだったのだ。敗戦により砕けた日本は、五輪の輪のように再び繋がり始めた。
「東京五輪1964」は、当時の日本の文化、技術および精神性を結集した大会であり、これは後に続く大阪万博と合わせて日本の輝かしい理想の未来の象徴でもあった。しかし本当に「もはや戦後ではな」かったのか?私たちは繋がれたのか?この問いかけは56年いや57年後の「東京五輪2020」に伏線となっていく。
第3章
人類の進歩と調和
「人類の進歩と調和」をテーマに、戦後の高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となった日本の象徴的なイベントとして開催された「大阪万博」は、日本初・アジア初の国際博覧会であった。当時、史上最大規模として世界各国の新技術や文化を結集し、一時の未来世界を創造した。これが、現在に続く日本人の「懐かしい未来」の原点となる。この国家プロジェクトには数多くの芸術家が動員され、これを機に活躍の場を拡げていった者もいる一方、日米安保条約改定に関する議論や反対運動と繋がる形で、芸術家による万博の反対運動も行われた。
当時の人類が想像し得る限りの未来世界が眼前に広がる中、約1200年前に奈良・東大寺の大仏殿前に建てられた七重の塔を摸したのは古河パビリオンであった。テーマを「古代の夢と現代の夢」とし、遠い未来から観測してやがて古代となる当時の万博をしっかりと見据えたものであった。このパビリオンは古代の外観と対比するように、内観では「コンピュートピア」というコンセプトを軸に、私たちの生活の未来像を提示した。そして国産第1号のビデオゲーム「電車の運転テスト」を発表する。一般的に、国産第1号のビデオゲームはセガ「ポントロン」やタイトー「エレポン」とされるが、どちらも1973年の発売となるため、この万博会場での「電車の運転テスト」が現在まで続く日本のビデオゲームの始祖、延いては日本のピクセルアートの始祖となる。このゲームにおける特筆すべき点は、日本人があまり得意ではない一人称視点のゲームであることだ。電車の運転席をシミュレーションしたゲームであるため、そのようになるのも当然ではあるが、日本国産第1号のビデオゲームが没入型の一人称視点による代替現実的なものであったことは面白い。しかし、グラフィックとしては非常にミニマルなものであったため、実際の没入感は乏しかったであろう。
"実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない"
この言葉は、未来世界を創造し、夢のように儚く消えた万博閉催の約2ヶ月後、11月25日に市ヶ谷駐屯地にて自決した、当時を代表する小説家であった三島由紀夫の言葉である。天皇を中心とする国家改造を目指した三島は、高度経済成長の真っ只中にあった当時の盲目的な日本の状況を憂いて自決した。アメリカからの保護下での進歩と調和は当時の日本社会に大きな光と影のコントラストを与えていたのだろう。
大阪万博の象徴であった岡本太郎の「太陽の塔」は現在も開催会場跡地に残り、私たちの未来を見据えている。
第4章
ワールドの出現
日本のビデオゲーム黄金期を印象付けた数あるゲームタイトルの中でも金字塔ともいえる作品は1985年に発売された任天堂「スーパーマリオブラザーズ」である。マリオは既に「ドンキーコング」や「マリオブラザーズ」などで人気者ではあったが、「スーパーマリオブラザーズ」でその人気を不動のものにする。この作品は世界中で4000万本以上を売り上げ、2021年においても全てのコンピュータゲームの売り上げランキングにて歴代6位となる。また、この作品は当時まだ珍しかった横スクロールプラットフォーム・ゲームという特徴がある。プラットフォーム・ゲームとはキャラクターをジャンプさせて足場から足場に跳び移ったり、障害物を跳び越えたりして進むゲームを指す。横スクロールにより、これまでの固定画面でのステージからその先まで世界が続いているという認識の変化は、当時の少年少女に新鮮な驚きを与えた。1面2面という画面の遷移ではなく、正にワールドが現れた。
この横スクロールという形式は、日本人には文化として馴染み深いものでもあった。絵巻物である。現存する最古の絵巻物は、奈良時代(710-794)に制作された「絵因果経」とされる。「絵因果経」は釈迦の前世における善行から現世で悟りを開くまでの伝記を説いた経典の一種である。つまり、絵巻物はその横長の形状で時間軸を表現しており、横スクロールさせることで物語を進めていく。また、その物語世界を巻物として現実空間で物理的に移動させることも容易である。これはファミリーコンピュータのカセットという携帯性にも通じる。日本人はおにぎりや弁当に代表されるように、文化を携帯することを好む民族でもある。
筆者はマリオの世界に奥行きがあることを想像できず、二次元の完全な平面世界での物語と考えていたため、「スーパーマリオブラザーズ3」で障害物の奥に隠れることができた時は、非常に驚いた。電子空間におけるレイヤーを感じた瞬間であった。考えてみれば、シューティングゲームなどでは背景の多重スクロールによって奥行きを表現していたものもある。しかし、プレイヤーキャラクターが体験して初めて自身が追体験できた。電子空間には奥行きがあるのだと。同じ平面表現でもアニメーションとビデオゲームでは決定的な違いがあり、自身がその世界でインタラクティブかつナラティブに奥行きを体感できる。私たちはピクセルの世界にスーパーフラットではなくメタビットを感じられるのだ。
第5章
拡張するワールド
EXCALIBURの創立者である田中は10歳の頃、後の人生に多大な影響を与え、コレクティブ名の引用元ともなった一つのビデオゲームと出会う。1988年に発売されたスクウェア「ファイナルファンタジー2」である。「ファイナルファンタジー」は当時、すでに大きな社会現象を巻き起こしていた国民的ゲーム「ドラゴンクエスト」と双璧をなす日本を代表するRPG(ロール・プレイング・ゲーム)である。当時の少年少女が最初に衝撃を受けたのはそのパッケージイラストだ。ファンタジーイラストレーションで高い評価を得ていた天野喜孝の描く美麗で繊細な作画は、単純なドット絵が全盛のビデオゲームにおいて電子空間との大きな乖離があり、非常に革新的だった。また、それらの繊細なフィジカルアートと対比するように、後にドットの匠と呼ばれる渋谷員子が描くドット絵は日本のKAWAIIが凝縮されたデジタルアートであった。
1990年代の日本のキッズカルチャーは「SDガンダム」にも代表されるように、リアルな頭身のものをスーパーディフォルメする"ちびキャラ"の文化が流行した。それらは後に2000年代の「ねんどろいど」などにも繋がっていくが、渋谷員子が描いたドット絵のちびキャラは電子空間内でのそれらの先例とも言える。これは、当時のビデオゲームでの解像度の制約から逆算されるグラフィック表現であり、私たちは電子空間内において、ある種の幼形成熟として主人公を演じ、世界を救ったのだ。
この「ファイナルファンタジー」シリーズにおいて天野喜孝は、味方キャラクターおよび敵キャラクターのイメージイラストも手掛けた。味方キャラクターは、渋谷員子のドット絵によってスーパーディフォルメされていくが、敵キャラクターは写実的なドット絵としてかなり忠実に描かれている。この解像度の異なるドット絵がバトル画面において同等に共存する画面構成はシリーズの特色でもある。通常のビデオゲームでは避けられるドット絵の統一感の無さは、味方のフィールドと敵のフィールドに明確な差異を生じさせ、画面中央に見えない壁を感じさせた。私たち味方側のプレイヤーにとって、敵側のキャラクターは解像度の異なる異界の者であった。
このビデオゲームシーンのトーン&マナーの破壊は、後に続くゲームデザインの創造に大きく貢献すると共に、少年少女の仮想から現実を拡張する創造力に大きな影響を与えただろう。私もその一人である。
第6章
不謹慎ゲームの台頭
バブル経済の崩壊後、世紀末の足音が近づく1990年代、後に「失われた30年」と呼ばれる時代が始まる閉塞した社会状況の日本で、現実の混沌から逃げ出すように拡がり続けた仮想がオウム真理教である。日本で有数の大学の学者や学生が、次々とこの仮想に入信した。この新興宗教が台頭していった理由としては、世紀末による世界的な終末思想も大きいが、当時のインターネット普及前のPCブームも関係している。当時、オウム真理教はマハーポーシャというパソコンショップを経営しており、秋葉原を始め国内だけで6店舗、国外にも支店があった。信者を修行と称して無報酬で働かせるため、他店よりも人件費を削減できPCの販売価格も抑えられたため、業績も良かった。これが教団の資金源の一つとなったのだ。また教団はアニメやポップソングなど、精神世界に傾倒しやすい若者が好むサブカルチャーも多分に引用した。この「ネタにしやすい」隙のある感じが従来の堅苦しい宗教よりも同時代性を切り取った。
100年ごとに訪れる世紀末には人の心に暗い影を落とす傾向があり、国外の例だと1994年~1997年のOrdre du Temple Solaireや1997年のHeaven's Gateなど集団自殺に向かう教団がいくつかあったが、日本においてその暴走は教団内に留まらず教団外へも向かった。それが、地下鉄サリン事件である。1995年3月20日にオウム真理教は東京の地下鉄車両内で神経ガスのサリンを散布し、死者14名・負傷者6300名という同時多発テロ事件を起こした。この事件は教祖である麻原彰晃が立候補した選挙での惨敗による社会への逆恨みが大きな引き金となっていて、非常に身勝手な事件である。しかし、この逆説的にノンポリティカルで、大した主義・思想もないまま凶悪な犯罪へと向かってしまう構造は、実に日本らしいとも言える。
そして、この地下鉄サリン事件を題材として「霞ヶ関」という不謹慎ゲームが発表される。不謹慎ゲームとは、注目度の高い事件をネタにして発表され、その事件を茶化すことを目的とした同人のコンピュータゲームのことである。同人ゲームとしては以前から存在していたジャンルだが、この事件をきっかけに露呈することとなった。「霞ヶ関」はシミュレーションゲームで、地下鉄の路線図をメイン画面とする。各駅の乗降客の人数とサリンの効果範囲に注意しながらサリンをばらまき、いかに多くの死傷者を出すかを競う。自ずと現実と仮想が重なるが、宗教的な思想や政治的なメッセージ性も無く、あくまでネタとして茶化すだけのものである。つまり、この不謹慎ゲームは「オウム真理教」そのものであった。この教団における教義や法名などすべてはゲームの設定であり、ステージが進めば修行など何でも良く、終末という「ネタにしやすい」ものに向かってPR(L)AYしていったのだ。しかし、ゲームに参加する意思の無い人々を巻き込む必要はない。このゲームにコンティニューはあってはならない。オウム真理教はその後、事実上解体する。この一連の流れはスピリチュアルや精神世界への大きなトラウマを日本全体に植え付けることとなり、不謹慎ゲームというジャンルもまた闇に潜めることとなった。
しかし、不謹慎ゲームはその後のインターネットカルチャーへ続き、意外な発展をしていく。2010年頃、日本人に対する蔑称「日本鬼子(rìběn guǐzi)」がネット上に氾濫したのをきっかけに、「日本鬼子(ひのもとおにこ)」という名前の萌えキャラを日本人が自ら作り、日本鬼子という言葉に別の意味を与える動きが広まった。更に顕著な例は、2015年に中東のテロリスト集団「イスラム国」が、日本人2名を人質に2億ドルを要求した事件である。彼らの過激な挑発に対し、日本人は「#ISISクソコラグランプリ」というハッシュタグをつけて、テロリストの覆面男と日本人の人質2名のコラージュ画像をSNSに投稿した。その始まりは事件をただ茶化したかのような不謹慎ゲームでしかなかったが、瞬く間にSNS上で世界中に広まり、不謹慎な笑いによるテロへの抵抗運動となった。また、オンラインゲームでも不謹慎ゲームは政治的な意思表明の場となっている。かつてのインターネット黎明期と比較して現実が仮想に大きく重なったことで、現実社会での自身の思想を仮想空間やゲーム空間に表明することが自然な世界となった。不謹慎ゲームは風刺ゲームへと解脱した。
第7章
ゲームは明るい未来のエネルギーで出来ている
2011年3月11日 14:46(JST)に日本の東北地方を中心に発生したマグニチュード9.0の地震は最大40.1mもの大津波を導き、18,425名の死者・行方不明者を出した。これは明治以降の日本の地震被害として、関東大震災に次ぐ2番目の規模の被害となった。日本は地震国であり、地震災害は珍しいものではない。私たち日本人は常に災害を意識しながら、"揺らぎ"との共生をしている。ただ、この東日本大震災はそれまでの地震災害とは明らかな違いがあった。大津波による電源喪失を原因とした福島第一原子力発電所のメルトダウンである。
この原子力事故は国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7に該当し、レベル7はチェルノブイリ原子力発電所事故と福島第一原子力発電所事故の2つだけである。この事故に起因する放射能汚染による帰還困難地域は337k㎡(パリ市の3倍ほど)にいたる地域で人々が住めなくなってしまった。福島第一原子力発電所は現在も廃炉作業が続いており、順調に行けば2041年から2051年頃までに完了する見込みとなっている。あくまで見込みである。
この原子力事故の直接的な原因はもちろん地震による津波だが、間接的な要因として太平洋戦争の敗戦から日本国に脈々と続くアメリカの支配体制が起因している。福島第一原子力発電所の土地は元々、国土計画興業という堤一族の所有地であった。1956年、アメリカからの原発推進の国際情勢(東西冷戦)により設置された原子力委員会の初代委員長であった正力松太郎は、原子力発電所の建設候補地に際して旧知の仲である堤康次郎を東京電力と繋いだ。原爆を2度落とされた国の「平和のための原子力」とはアメリカの支配体制に乗じた政治家同士の私利私欲の歴史でもある。しかし当時の多くの日本人はそれを知る由もなく、「原子力明るい未来のエネルギー」という標語と、鉄腕アトムやドラえもんなどに代表されるキャラクターによって、原子力による明るい未来を盲信せざるを得なかったのである。※
2011年に多くの日本人がインターネット越しに体験したメルトダウンは、1950年代~1970年代の高度経済成長期および1980年代のバブル経済で肥大した「大きな物語」も溶かした。いや、実際のところ1990年代からそれは溶け始めていた。美術評論家の松井みどりは1990年代の日本人作家の動向を「マイクロポップ」と提唱している。マイクロポップとはバブル崩壊後の失われた20年に貧しい国となってしまった日本において、断片的な「小さな物語」を紡ぐ作家の動向を指す。この2011年の大震災は大多数の日本人が当たり前のように共有していた物語が殆ど間違いだったことが分かった転機であり、戦後の日本という「国家」の脆弱性が決定的に暴かれた瞬間であった。
これ以降、日本人は大なり小なり国家というものに絶望し、各々が手の届く範囲で「共同体」を模索していく。その思考は日本における地域アートの流行とそれに伴うソーシャリー・エンゲイジド・アートの隆盛にも関係するだろう。
既存の国家とは異なる共同幻想を求める思想は、日本のみならず、インターネットやSNSと呼応しながら、いわば架空の国家という想像にも繋がっていく。そして現在、ブロックチェーンと結びつきながら新しい「小さな物語」を記述する。それぞれのチェーンは国家と同等の経済圏・文化圏を獲得しながら既存の国家システムを脅かしていく。しかし、皮肉にもそのチェーンを運用するためには既存の国家による多大な電力が必要だ。これからも世界は「原子力明るい未来のエネルギー」なのだろうか。
※「鉄腕アトム」の作者である手塚治虫は晩年、反原発を明確に表明しており、アトムは核分裂エネルギーではなく核融合エネルギーだと説明している。「ドラえもん」は2012年、「何を食べても原子力エネルギーになる」という設定が削除された。
第8章
キャラからキャラクターへ
2007年に北海道を拠点とする音楽関連会社であるクリプトン・フューチャー・メディアより展開された「初音ミク」は、ヤマハが開発した音声合成システムVOCALOIDを活用したソフトウェア音源である。このソフトウェア音源でしかないものにリアリティを増すため与えられた設定が初音ミクであり、バーチャルアイドルとしての「キャラクター」であった。
バーチャルアイドルという言葉は1990年代から存在し、これはコンピュータグラフィックスがドット絵から3DCGへ進化していった時期と密接に関係する。漫画評論家の伊藤剛によるキャラ/キャラクターで言えば、ドット絵での描画は記号的な図像の「人格のようなもの」であり、3DCGでの描画は物語を背景とした人生や生活を感じる「人物のようなもの」である。ドット絵の記号的な描画だけでは獲得し難かったキャラクターを3DCGにより獲得できるようになり、またアイドルとしてのキャラクターを獲得するために重要な「音声」をコンピュータの進化により実装できるようになった。
音声を手に入れた大半のバーチャルキャラクターはCDデビューを果たす。物語性を重ねた楽曲は視聴者にキャラの人生や生活を連想させ、結果としてキャラクターを獲得し易くなる。そして、楽曲を歌うバーチャルキャラクターはバーチャルアイドルとなるのだ。この時代、ゲームキャラがバーチャルアイドルとして次々とデビューする。ビデオゲームに絞った例としては、1993年「ツインビー」のウインビー、1994年「ときめきメモリアル」の藤崎詩織、2000年「ROOMMANIA#203」のセラニポージ、2005年「THE IDOLM@STER」などがある。
伊藤の評論に基づいて考えれば、発売当初の初音ミクは、キャラであった。しかし、インターネットとSNSの隆盛によって消費者が生産者となる生産消費者による制作(user generated content)の時代と合致し、ユーザーにより大量に投稿された初音ミクの物語の断片は、やがて初音ミクをキャラクターへと成長させた。ここが他のバーチャルキャラクターと大きく違うところである。大半のバーチャルキャラクターは主たる生産者が物語を描きキャラクターにされる。
余談だが、近年、動画共有サービスにてバーチャルYouTuber(VTuber)の活動が目立つが、VTuberのキャラクター性は初音ミク以前のものに近い。VTuber単体がコンテンツであり、初音ミクのようなプラットフォームではない。今後、NFTやメタバースと連動する形でuser generated contentのプラットフォーム型バーチャルキャラが誕生していくだろう。もしかしたら既に誕生しているのかも知れない。
第9章
代替現実の登場
2000年代、アメリカで日常世界をゲームの一部として取り込み現実と仮想を交差させる体験型の遊び「代替現実ゲーム」が登場する。この文化は2010年代、日本においてリアル謎解きゲームとして流行するが、共通する特徴としてプレイヤーが暗号的な断片情報を謎解きながら日常世界のゲームをリアルタイムに進めていく。この代替現実ゲーム(リアル謎解きゲーム)は2020年代、下火になっていったように見えるが、実際はそうではない。現実と仮想が交差し過ぎたコロナ禍の現代において、情報のオーバーフローを起こした日常世界全体が暗号的な断片情報に溢れた代替現実ゲーム化社会となっている。これが今日の社会における「新しい日常」の正体である。私たちはコロナ禍の社会で非接触の時代を生きているが、実際は身体の非接触ではなく情報の非接触であり、私たちは真の情報に触れられなくなった世界を旅している。
日本において代替現実ゲームが代替現実ゲームのまま流行しなかった要因としては、日本人は没入感より俯瞰的な見方による考察に楽しみを見出す民族であるところが大きい。古くは、やまと絵や浮世絵にしても輪郭線・平面性など西洋画のように現実に似せて描く気などなく、仮想を仮想と理解しながら楽しみたい民族なのだ。ビデオゲームにしても三人称的な2Dゲームで世界を席巻した。現在の没入感を特徴とした一人称的な3Dゲームで世界に遅れを取っている理由でもある。原理主義的な代替現実ゲームは没入感を前提としていて、ゲームであることを明記せずに進む。実際に現実空間で起こっていることとして物語が進むため、日本人には非常に相性が悪かった。対してリアル謎解きゲームは没入感を前提としておらず、ゲームであることを明記する。このため、日本人は現実空間での仮想的なエンターテインメントとして楽しむことができる。例え、出演者と鑑賞者の間にある第四の壁が取り除かれようとも、自身の身体と精神の間に第五の壁を作りたい民族なのだろう。
このような2000年代における代替現実ゲーム(リアル謎解きゲーム)が布石となり、後の2010年代にナイアンティックによる「Ingress」「Pokémon GO」の大流行へと繋がる。これはスマートフォンを物語世界に登場する自然なアイテムとしつつ、AR技術によって現実と仮想を適度なバランスで重ねているため、日本人にも好まれた。周囲にはスマートフォンを見ているだけの人である。スマートフォンが作る壁は私たちにとって非常に心地良かった。この一連のリアルゲームの流行はインターネット以降、希薄化した身体性を再獲得できた点が大きい。
私たちの身体は現実と仮想の狭間で長い間、浮遊していた。しかし、今後の社会においては身体性を伴った仮想空間が更に重要視されるだろう。身体と精神がゲーム空間でシームレスに重なる時、私たちの第五の壁はどこに作られるだろうか。
第10章
デジタルデータの魂のゆくえ
2020年代の新たな表現形態の夜明けを告げるように、それは忽然と登場した。NFTである。NFTとは分散型公開台帳であるブロックチェーン技術を応用し、デジタルデータをはじめ様々な物やサービスに真正性を紐付けることができる。2017年頃からブロックチェーンの一つであるイーサリアムにおいて、画像データと紐づけられ、NFTアートとして2021年初めに世界的流行となった。ただし、この真正性もしくは唯一性は発行者の信頼性に左右される。
私たちEXCALIBURはこのNFTに「デジタルデータの魂のゆくえ」という以前から抱いていた観点で関わっている。デジタルデータは原本と違わぬ形で複製され続け、様々なデバイスにて出力される。それはデジタルだけでなく時にはフィジカルとしても出力される。デジタルデータは画像にせよ映像にせよ、出力される際に人間が視認できるようデコードされている。本来、デジタルデータは私たちが認識できない別の姿をしている。ある意味、私たちが見ているデジタルデータは世を忍ぶ仮の姿とも言える。NFTとはそのようなデジタルデータの特性の深淵に迫る部分がある。デジタルデータのコピーは複製時の劣化がないため、原本と見分けが付かない。デジタルデータのコピーとはコピーではなく、実際のところ、すべてがオリジナルである。NFTはあるデジタルデータの原本とされるものに真正証明を紐付けることによりオリジナルと保証するものだが、これはあくまで1データにつき1NFTを紐付けた場合でしかない。しかし、NFTを紐付けた時に唯一決定されるものは「時間」である。
ブロックチェーン技術の分散型公開台帳は改竄が難しいため、NFTを紐付けた瞬間は信憑性が非常に高くなる。これは、そのデジタルデータの「故郷」を設定する行為と考えている。デジタルデータの魂にイーサリアムという生まれ故郷を記載する行為と考えている。100年200年経った先、もしくはもっと遠い未来においても、そのデジタルデータの魂のゆくえに想いを馳せることができる。
現在、NFTはアーティストによるプラットフォーム主体の市場からクリエイターによるSNS主体の市場となっている。美術的な言い方だとマルティプルのフェーズに入っていると言えるだろう。NFTアートは個々のアーティストの活動というよりフルクサスのような共同体の活動と見ることができる。世界的に拡がる国家への不信感が暗号資産の価値へと繋がり、そのコミュニティが新しい時代の経済圏を進めている。この兆候はクリエイターが自らのプロデュースで顧客から金銭を得ることが普通となってきた2010年代からあった。インターネットとSNS、初音ミクの項でも述べたuser generated contentの流れがNFTのクリエイター経済圏に繋がっている。
NFT市場がマネーゲームという否定的な意見も散見されるが、むしろ暗号資産とはゲームマネーである。NFTとは今後来るべき、メタバースという現実と仮想が重なるゲーム空間(フィールド)におけるアイテムであり、NFTアートとはその空間内での調度品である。ただ、そのゲーム内通貨が換金できるというだけで、本質としては対国家を題材としたシリアスゲームである。暗号資産の根底には既存の社会や政治の変革を求めるサイファーパンクという運動体があり、この運動体の思想が現在のメタバース共同体にも繋がる。そして、NFTとは既存の現実社会を新しいゲーム空間に召喚するための魔法なのだ。
第11章
さぁ現実をプレイしよう
コロナ禍による1年の延期から2021年7月23日に開幕した「東京五輪2020」は結局のところコロナ禍の渦中での開催となり、基本的に無観客開催となったため、世界中の人々がモニター越しで観戦する非常に仮想的な大会となった。57年前、五輪開催中の空気感は東京だけでなく日本中にあったはずだが、2021年のそれは通常の都市風景と何も変わらず、本当に開催されているのかも疑わしいと感じるほどであった。身体性を伴う現実のスポーツの物語が私たちには身体性を伴って届かず、マスメディアとインターネットだけで進行された物語は、ある意味において時代を象徴する大会となった。それは東京五輪のプレイベントとして開催したIOC史上初のeスポーツイベント「Olympic Virtual Series (OVS)」からも感じ取れる。
代わりに何が開催されたのか。それは旧態依然とした代理店主導の利権構造を批判し、何としても五輪を中止にしようと考える国民による代替現実ゲームだ。クリア条件は五輪中止であり、ゲームクリアのために体制側の敵キャラクターは次々と倒されていった(例え一時的でも)。主なプラットフォームはSNSである。残念ながら二度目の東京五輪は開催されてしまった。ゲームクリアとはならなかったが、観客としての私の印象では最後まで善戦したように感じる。57年かけて問いかけられた日本の繋がりとはこのようなもので終わった。寧ろ、何も繋がっていなかった。
日本人はTOKYO 1964やEXPO'70からビデオゲームやインターネットによる仮想世界を手に入れ、いつでも誰かと繋がっている感覚を手に入れ、コロナ禍で声高に連帯が叫ばれる中、二度目の東京五輪で何を得たのだろうか。あなたの心に何が残っているだろうか。今回の東京五輪に関しての日本政府と日本国民の仮想ゲームは、空虚感が漂う、失われた30年の果てにあったeスポーツであった。
しかし、おそらくTOKYO 1964やEXPO'70も体制側にて美化された懐かしい未来である。私たちはあったかも知れない未来として、この2021年を正しく記述していく必要がある。決して改竄されない透明性で、中央集権の都合が及ばない現実ゲームを描くべきなのだ。
真名井良秀 / EXCALIBUR